約 422,287 件
https://w.atwiki.jp/aosasa/pages/192.html
雑記:文或と近代もろもろ、188 4月21日めも。 リアルタイムは12月9日、ゲーム(文アルのほう)をのんびりやりすぎていてちょっと根を詰めないと家具が手に入らない可能性が出て来たので今イベントを回っている感じです、特効が出て来ないのに20連回しちゃったとか、わりと嫌な感じのコースです、今後は好みか確定以外では回すのは止めておこうと思う。 好みとイベントが被った場合なら出なくても諦めが付くじゃない。 自分の感情にのみ正直になる、価値を感じないものはテコでも価値を感じない姿勢を大切にしていきたいと思いますがだが別に、友人が真摯に価値を語っているので影響されたなどの場合も受け入れていく所存です。 しかし「布教しよう」としてる場合には影響されず、相手がかるーく褒めてる時に影響されることが多いってのは実際なにか合理的な理由があるのか、単純に波長が合わないのかどっちでしょうね。 てか、熱意込めてる時の人ってわかりにくい正直。 自分の動かされた感情から語ってしまうからだろうな、「どこ」に自分の感情が動かされたかならわかりやすいし大歓迎なんだけどなぁ。 相手の立場に立って考えるのは大切なことなんでしょう、当たり前だけど。 だがしかし、軽く語ってる時なら別に気遣いもなにもいらないってのはなんだ、若干引っ掛かるよね、本当に上の措置が必須なんだろうか、それとももうちょっと苦労少なくして自然と相手が聞きやすい状態になるのではなかろうかと考えないでもないですね。 それが完全に理解出来たり言語化出来たら儲けものだけどな。 デマしか爆発的には広まらないってのもなんかこう、近いものが…あるような。 4月22日めも。 ところで雑誌の創刊年を調べてたんですよ、『講談世界』で死ぬほど難航して「講談倶楽部の関係者が口にしてたらしいから大正元年」から「多分大正12年」までみたいな感じのなあなあな感じに終わったんですが。 私、講談世界に載ってた小説とか一覧で見た覚えがあるんだけどな…。 『講談雑誌』というタイトルの本があって、これがどうも「大衆文学」の最初らしいので(私は講談世界だと誤認してた)、ひょっとして取り違えてたのかなと思ったんですが、載ってた作品が全く違うのでまあどこかで一覧見たんだろうな…。 大衆文学に関しては木村毅さん(春秋社)て人が語ってたのとだいたい状況が一致してるので多分問題ないだろう、いやー、本読んだあとで、あれはひょっとして重要案件だったのでは? となったし読み返すのが面倒でね。 ただ、講談雑誌のWiki辞書のページを講談世界と誤認して読んでいたことはある模様、なんなら作品に関しても触れてたような改変がされていたんですが、作品はまた別のところで紹介していたのを見ていたんだな…。 てか、講談倶楽部と講談師たちが分裂した時に(まあ代表者とだけど)、なんでも代表者は講談世界を使って攻撃してたぽいですよ、ははははは。 単独のページはないものの、ちまちまと他所で語られている。 私も何度か見た覚えがあるからなぁ、多分講談雑誌を見たのと混ざってる可能性が高いですが、講談世界で検索してもなんも出て来なかったもん、多分大衆文学どうのってのとは違うなと今はちゃんと、それなりに把握してる、多分。 ついでに『家の光』の終刊調べるの面倒かも…と思いましたが現存だよ現存。 4月23日めも。 てかあとねー、文光堂という出版社から出版したということになってるんですが『講談世界』、大正元年から大正6年の時点まで「楽文社」ってところで刊行されてまして、うーん、これ単なる出版社変更ってことでいいのかな。 文光堂ってのが明治25年から存在するお堅い感じの出版社ぽいのでちょっと引っ掛かるんですよね、とはいえ、単行本に「家庭講談」という内容のものがあったので絶対にないとも言い難いというか、さすがに時期の被る同名の出版社ってのもないか。 出版社のカラーとは違う雑誌をなんかの理由で引き受けたためにいまいち事情みたいなことが語られなかったってことなのかな。 講談師との関係もこっちが引き継いだって見ていいのかしら。 そういや、なんか講談社の社長が和解したよとか言ってたことがあったんですが、ラジオで浪曲がヒットしていたのとこっちの講談世界の廃刊みたいな事情も多少は含んでいたのかなぁ、わからん、なんともわからん。 正直に言えば『家の光』と講談世界に関しては若干逃げたい気持ちがないでもないものの、まあうーん、うーん…。 てか、思った以上に講談雑誌の事情と講談世界の事情を取り違えてるような気がするな、いや、反論は『講談倶楽部』のページで見たのでいいんだけども。 国枝史郎が講談雑誌ってのが、うーん…。 ただ、講談雑誌という雑誌名からして講談速記者(講談社と揉めた人)から引き継いだってある辺り、講談世界に書いてから講談雑誌で書いててもどうもそんなに問題なさそうというか、うーん、取り換えちゃうか…、『講談雑誌』と交換で。 4月24日めも。 えーと、だから女学雑誌明治18年、新小説明治22年もしくは明治29年、ホトトギス明治30年、婦人之友明治36年、文章世界明治39年、少年倶楽部大正3年、講談雑誌大正4年、おっと忘れてた文章倶楽部大正5年、婦人公論大正5年、家の光大正14年、 あれ、一個同じ年の刊行があったので打ち込む時に適宜どうにかします。 いや今調べるか…(こんなん開いてなかったらさすがにやらん)。 えーと、婦人公論1月、文章倶楽部5月、はっきり別れてて良かった! メモ帳に『講談世界』→『講談雑誌』の変更も含めて書いてきたのでなんというか一段落な気がするんだけど気のせいです。 が、計画が見切り発車だったのが今の時点で見切り発車ではなくなったという満足感になら浸ってもいいような気がする、小さい自己満足でも正確に、どんなに小さくてもその満足感が多い分にはオッケー、ただし正確に。 てかあれですね、激しい見切り発車からまともなところにまで計画を引き上げられたぞ、あんなに見切りだったのに! だと満足感があってもいい気がする、あんよが上手、優れていると勘違いさせない的確な満足!! 正直拘り方のベクトルがおかしい気はしてるんだけど、私の褒め方がおかしかったせいなのか化け物もどきを目の前で成長させてしまったことがあるので人ごとじゃなくってさー、ただ、もともとあれだったのが現れただけだなと思ってるので反省まではしてません、私のせいじゃないもん。 自分であっても妥協はしない、あんなに適当にでっち上げたのに今ならなんとかなりそうな気がする感じの満足感です、この満足感は適格だ、うん適格だ。 4月25日めも。 この勢いのまま雑学のページを作ってしまいたいような気もしているものの、なんとなく、特に意味があるわけでもなく「明治文士10人」の順番を決めようかと思います、さすがに全員にWiki辞書のページはあるよな。 まあ内容の充実度っていうとあんまり期待してないけど、個人の伝記本でもふにゃふにゃしてるんだから仕方ないよなぁ…。 正直文学史の自分の信じる方向にシフトチェンジ! みたいな発想は感じず、ただただ単に落としてるなー、というだけなので怨念とかはないんだけどね。 なんで文学の歴史ごときで怨念を抱くかというとかつて信じていたり、それを信奉する人に突進して説教されたりしたせいですね、まあ普通に恨むよね、ケアレスミスで怒るつもりは全くないけども、恣意的に捻じ曲げて他人の経歴とか読まされて「なんか物理的に全然成り立たないんだけどどっちが正しいんだろう…」とか考えたことがあれば立派な時間の無駄だもんな。 約1年半くらい苦しんだので怨念に相応しいかなと思います。 ぶっちゃけ志賀さんの存在がなかったらもうちょっと時間が掛かったと思う、彼はなんというか、「それぞれが素晴らしく偉いと語っているものの」「語っている同士の情報が全く合致してない」みたいな奇跡的な存在なので…。 というかご当人の関係やご友人の本読むと物理的に食い違うので、これ、私の気のせいとかじゃなくてなんかやべーことになってんな、と認識しやすかったです、あまりにも天上ふっとばして偉すぎるせいか他の作家の情報と全く組み合わせられなくて…。 馬鹿にしたいわけではないです、なにされてんだ一体としか…。 4月26日めも。 えーといや違う、文士だよ、えーと…、福沢諭吉が最初でいいのかなぁ、なんとなく新聞基準で考えちゃったんですが彼がなんかめっちゃ早い段階で本出してるんですよ、学問のススメとかじゃなくてなんか別の、出て来ないけども、西洋事情とかそんな。 明治の出版事情とか読んでるとたまに出てくるしね。 新聞事情だと福地源一郎になるのかなぁ、まあ彼も最初のほうになりそうだけども、いやこれは活躍年代とかでふんわり決めてく予定なので私の認知範囲頼みなんだよな、えっと、福地源一郎が2番目、栗本鋤雲が一応福地氏の先輩格みたいな感じなので3番にするかな…(二人とも政府随行で翻訳やってた、新聞への登場は福地さんのが幕末新聞だから先で問題はないだろうし)、報知新聞関係者なので矢野龍渓は4番、東京日日関係で見掛けるので仮名垣魯文を5番、蘇峰さんを6番、黒岩涙香を7番、地味に違うところはありそうなんですがまあ問題あるほどでもないだろう、なんか結構時期ががばっと開いてる感じもするしなぁ。 陸羯南を8番、三宅雪嶺と長谷川如是閑は…いまいちわからんのでちょっと確認してこよう、えっと、年齢が全く違ったんで三宅さんを9番、長谷川如是閑を10番で、見掛けた時期なんかはそう激しくズレてはないんだけど文士になった時期の違いだよねこれ。 蘇峰さんはどこから活躍してたのかがさっぱりわからんかったのですが、まあ新聞社の社長どもよりあとにする分にはいいや、みたいな感じ。 比較的すかんすかんと決まってしまったので、もうちょっと難航するつもりだった気持ちを持ち余しているんですが、個人と個人を比べるとそんなに迷わないんだな、並べた10人を見てると全く駄目です、そりゃそうだよな…。 4月27日めも。 他に計画してる歌舞伎に関してとか、近代劇に関してはそもそも時代順に思い浮かべてたので並べ替える必要が特にないな、各種芸能に関しては文楽のほうが能よりもあとなんじゃないかなー(歌舞伎と能だと能、文楽はわからん)、みたいなことが気になったのでえっと、検索してみます! 能は自然発生で文楽は江戸時代だったよー、てか、なんとなく知ってたんですけども「能楽」と「能」は別物だからねー、みたいなことを言っているのでそれに習い、私の書く項目を能楽へと変更、いや、他が芸能なのにストーリーのある踊り総括よ、みたいなこと言われると収拾が付かないしね! まあただ、そうすると猿楽からになるのかな…これも古代だよなぁ。 しかしそもそも「文楽」を純文学って呼んでたんですよね、逍遥さんが、で、歌舞伎が一番格が下みたいなの(かつてはテンプレ組み合わせ作品しかない、いいとか悪いとかじゃなくてその構造によって短時間の練習で演目変更を成り立たせてたぽい、どの程度変わったのかは知らん、明治に変えようとしてたのは知ってる)。 そうすると能楽が真ん中かなー、みたいなことを薄らぼんやりと考えていたのでルーツとか順番とかあんまり考えないリストアップだったのよね、歌舞伎のほうが文楽より早いしさそもそも。 だが能楽を文楽の前に置くのはさすがに躊躇いが…。 というより明治にランク付けされた各芸能みたいな感じだから時代順にしなくてもいいかー、だが、それでも文楽と能楽の順序だけは迷う…。 講談なんかはわりと後ろにぶっこんだんだけど、書いてみて変えてもいいか。 4月28日めも。 てか、ここまで粘ってみてあと残り3日分になったので「出来れば次の真面目な記事を書く前にもう1枚分あとにしておきたい」みたいな気持ちが湧いて出てきたので調べてみたんですよ、ドストエフスキーさんとトルストイさんたちの登場時期、あれですね、今年の9月後半ですね。 頑張れば9月くらいまで引き延ばすことが出来るような気もするし、いやいや、そこまで延々と引き延ばししてると年末までに間に合わないわよ、みたいなことも考えるしでなんかちょっと考えます。 今までは普通にゲーム人物に関してより先に計画を立てた雑誌とか新聞社に関してだったからなぁ…。 まあ雑誌もう10種と文士に関しては上の範囲内と考えてもいいんだけども、頭下手に切り替えないほうがいいかな的な(新聞と雑誌は事情が違うけどねー、正直、一部に関しては被ってるし、特に文士)、そういうこじつけが出来なくもないので、あーと、まあそんな方針にします。 とりあえず上の2つの真面目な「雑学」を書いてから考えよう。 まあそうすると2か月とか手古摺ったりすると3か月分は進みそうな気もしないでもないんだけど、それでも9月にはさすがに届くような気もしないんたよな…。 うーん、そこをすっ飛ばして次の明治初期組から初めてもいいのかなぁ、でもそれでも山田美妙さんがいるんだよな…。 実装日付けが、えーと、2020年4月10日ですね、ついちょっと前にだけどもう過ぎてるな? あ、じゃあそんな方針で! どっち先でもいいやこの際。 4月29日めも。 リアルタイムは12月11日、理由はわかりませんが打ち込みをしようとすると文章の途中で途中でパソコンが止まる程度になにか裏で作業が進行していて死ぬほど不便です、さすがにこれ、一番軽いテキストエディタだから致命的でもないんだけどさ、ん、そろそろ終わったかな? いやまだなんか早く打つと駄目だな。 とりあえずパソコンで強制終了されてしまったとうらぶをスマホで開いて、任務受け取って、あと、第一や第二変換だとそんなに気にならないんですがそれ以上変換候補が低いとまだ重いですね…。 強制終了が響いてるのかなぁ、少しはマシになってる気もするけど。 長文とか各種変換取り合わせとかだとどうなるかわからんな。 ええとあれ、今日はあれ、ここの雑記のページがあと2日分なので無理に開いてなんとか終えておこう、みたいな意図があるだけであんまりなんにも考えてはいないです。 昨日今日はそんなに眠いわけでもないんだけども、なんかパソコン立ち上げないんだよな…、ちゃんとやることを計画してる時に限ってこんな感じなのがいつものことで、特にやる意義のない愚痴とかだとわりとすんなりって雰囲気にもなるよね。 あとそういや、変換候補みたいなものをパソコンが溜め込むので定期的に消してやらんといかん的なこと言われてなかったっけか。 ここ数回データ送信するのを怠っていたので、今送ってみました、うーん、とりあえず引っ掛かりみたいなものはなくなりました、だがしかし、よく考えてみるともとはクロームの強制終了だから関係ないかしら。 それとまだ長文打つとぽちぽちと怪しい気が、しないでもなく。 4月30日めも。 うーんとあれ、慶応3年組のビックアップ、誰か前後してるかもしれないけど、みたいなのをひたすら調べて文アルのキャラクターブックまで引っ張り出してきたものの、結局ゲームの攻略Wikiに頼りました。 にゃ、生年順に並んでるページがありまして、ありがたや…。 えっと、サッチー、漱石さん、露伴先生、子規さん、紅葉先生(漱石さんからここまでが慶応3年組って呼ばれてるの見たことある)、美妙さん、蘆花さん。 で、自然主義同い年組が独歩さん、花袋、秋声、藤村、と。 この辺は旧暦と新暦とだいたいどっちも書いてあるのね。 旧暦が太陰太陽暦(閏月ってのを作って4年に1回ずつ太陽暦に合わせる暦のこと)から新暦がグレゴリオ暦ですね、グレゴリオ暦で良かったっけ? 4百年に一回閏月がなくなるやつ、これのおかげでほとんど狂わなくなったぜって言われてるやつ。 ていうか慶応生まれの人たちが「旧暦」なのは当たり前だよな…。 まあただ、昔の人たちって誕生日をあんまり気にしないんだけどね、私の子どもの頃にもそういう年齢の人が普通にいたからなぁ。 あれです、誕生日がなくて元旦に年を取るやつ。 父母の年齢だともう誕生日認識あったんですが、父の生まれが1月1日だったので「実際は何日のお生まれで?」とよく聞かれてたそうです。 今はそういうこと多分聞かれないような気がするんだよな。 まあうちの場合、父とその妹の叔母が同じ1月1日の生まれだったのでさすがにねぇだろと思われても無理ないけど…、どっちも全然予定日じゃなかったぽい。 (文或と近代もろもろ、188) 雑記:文或と近代もろもろ、212 雑記:文或と近代もろもろ、210 雑記:文或と近代もろもろ、208 雑記:文或と近代もろもろ、207 雑記:文或と近代もろもろ、206 雑記:文或と近代もろもろ、205 雑記:文或と近代もろもろ、204 雑記:文或と近代もろもろ、203 雑記:文或と近代もろもろ、202 雑記:文或と近代もろもろ、201 雑記:文或と近代もろもろ、200 雑記:文或と近代もろもろ、199 雑記:文或と近代もろもろ、198 雑記:文或と近代もろもろ、196 雑記:文或と近代もろもろ、194 雑記:文或と近代もろもろ、192 雑記:文或と近代もろもろ、189 雑記:文或と近代もろもろ、188 雑記:文或と近代もろもろ、187 雑記:文或と近代もろもろ、185 雑記:文或と近代もろもろ、184 雑記:文或と近代もろもろ、183 雑記:文或と近代もろもろ、182 雑記:文或と近代もろもろ、180 雑記:文或と近代もろもろ、179 雑記:文或と近代もろもろ、178 雑記:文或と近代もろもろ、176 雑記:文或と近代もろもろ、175 雑記:文或と近代もろもろ、174 雑記:文或と近代もろもろ、173 雑記:文或と近代もろもろ、172 雑記:文或と近代もろもろ、171 雑記:文或と近代もろもろ、170 雑記:文或と近代もろもろ、169 雑記:文或と近代もろもろ、168 雑記:文或と近代もろもろ、167 雑記:文或と近代もろもろ、166 雑記:文或と近代もろもろ、165 雑記:文或と近代もろもろ、164 雑記:文或と近代もろもろ、163 雑記:文或と近代もろもろ、162 雑記:文或と近代もろもろ、161 雑記:文或と近代もろもろ、160 雑記:文或と近代もろもろ、159 雑記:文或と近代もろもろ、158 雑記:文或と近代もろもろ、157 雑記:文或と近代もろもろ、156 雑記:文或と近代もろもろ、155 雑記:文或と近代もろもろ、154 雑記:文或と近代もろもろ、153 雑記:文或と近代もろもろ、152 雑記:文或と近代もろもろ、151 雑記:文或と近代もろもろ、150 雑記:文或と近代もろもろ、149 雑記:文或と近代もろもろ、148 雑記:文或と近代もろもろ、147 雑記:文或と近代もろもろ、146 雑記:文或と近代もろもろ、145 雑記:文或と近代もろもろ、144 雑記:文或と近代もろもろ、143 雑記:文或と近代もろもろ、142 雑記:文或と近代もろもろ、141 雑記:文或と近代もろもろ、140 雑学:近代有力め新聞社10社、181 雑学:近代小説掲載雑誌覚え書、186 雑学:明治の歌舞伎事情、195 雑学:明治の新聞発展事情、177 雑学:文士経営者寄り10人、190 雑学:お江戸の歌舞伎事情。197 文芸:文アル登場作家、その4。211 文芸:文アル登場作家、その3。209 文芸:文アル登場作家、その2。193
https://w.atwiki.jp/wiki1_test/pages/3751.html
はじめに WWEとはワールド・レスリング・エンターテイメントの略である プロレスだけどプロレスじゃないのがWWEの面白さでプロレスのことを業界またはスポーツエンターテイメントと呼ぶ 最初はWWFと言う名前だったがあのパンダマークのWWFに負けWWEに変えた。 昔はWCWと言うライバル団体があり一時倒産の危機であったが下品なアテュード路線に切り替え 1999年から怒涛の追い上げを見せついにはWCWを買収したと言う経歴である 内容 WWEには3つの番組がある 1つ目はRAW。WWEのリーダー的番組 2つ目はスマックダウン。最初はWCWのサンダーの対抗番組であった 3つ目はECW。昔のようなエクストリームな試合は殆ど無くなり今は育成番組と化してる
https://w.atwiki.jp/monhan99/pages/53.html
名称 レア タイプ 性別 防御 スキル スロット 属性耐性 価格 生産素材 派生 グリーンジャージー 火:水:雷:氷:竜: ブルージャージー 火:水:雷:氷:竜: ハンターグリーブ 火:水:雷:氷:竜: ハンターレギンス 火:水:雷:氷:竜: ボーングリーブ 火:水:雷:氷:竜: ボーンレギンス 火:水:雷:氷:竜: ランポスグリーブ 火:水:雷:氷:竜: ランポスレギンス 火:水:雷:氷:竜: バトルグリーブ 火:水:雷:氷:竜: バトルレギンス 火:水:雷:氷:竜: ランゴグリーブ 火:水:雷:氷:竜: ランゴレギンス 火:水:雷:氷:竜: ハイメタグリーブ 火:水:雷:氷:竜: ハイメタレギンス 火:水:雷:氷:竜: ゲネポスグリーブ 火:水:雷:氷:竜: ゲネポスレギンス 火:水:雷:氷:竜: クックグリーブ 火:水:雷:氷:竜: クックレギンス 火:水:雷:氷:竜: ゲリョスグリーブ 火:水:雷:氷:竜: ゲリョスレギンス 火:水:雷:氷:竜: ガレオスグリーブ 火:水:雷:氷:竜: ガレオスレギンス 火:水:雷:氷:竜: レイアグリーブ 火:水:雷:氷:竜: レイアレギンス 火:水:雷:氷:竜: フルフルグリーブ 火:水:雷:氷:竜: フルフルレギンス 火:水:雷:氷:竜: バサルグリーブ 火:水:雷:氷:竜: バサルレギンス 火:水:雷:氷:竜: メルホアライース 火:水:雷:氷:竜: ザザミグリーブ 火:水:雷:氷:竜: ザザミレギンス 火:水:雷:氷:竜: コンガグリーブ 火:水:雷:氷:竜: コンガレギンス 火:水:雷:氷:竜: ブランゴグリーブ 火:水:雷:氷:竜: ブランゴレギンス 火:水:雷:氷:竜: ギザミグリーブ 火:水:雷:氷:竜: ギザミレギンス 火:水:雷:氷:竜: シルバーメタルブーツ 火:水:雷:氷:竜: ピンクメタルブーツ 火:水:雷:氷:竜: クロムメタルブーツ 火:水:雷:氷:竜: 火:水:雷:氷:竜: 火:水:雷:氷:竜: Wikiが苦手という方はこちらに情報を 頂いた情報を元に編集させて頂きます 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/jojoxixipage/pages/14.html
ここはmixi内にある「コミュ住人参加型スタンドバトル」の戦闘、スタンドを記録する間だ。 コミュ住人のオリジナルのスタンドと本体で、それを戦わせたらおもしろいんじゃあないか?という発想を鉄雄氏がもち、発展していった結果WIKIを立てられるほどまでになったのである。 まずはルールを説明させてもらおうッ!! 参加する前に必ず読んでくれ! 1.まずエントリーだ!「自分のプロフィール」「自分の考えたオリジナルスタンドとその能力」をそれぞれ書き込み、名乗りをあげる! バトルが書き込まれるまで受付、最大四人までだ! 四人以上、バトル開始後に書き込まれたものはスルーされてしまう。注意してくれ。 2.その後、スタンド使いとして名乗りを上げたもの「以外」の住人がバトル展開を書いていく! この間にスタンド追加は厳禁だ。書かれてもこれまたスルー。バトルを見ながら次のチャンスをまってくれ。 ストーリーが重なってしまった場合は先にかかれたものを優先とする。 3.誰かが敗北した時点で「○○、リタイア」と書き込む。 最後の一人が残った時点でバトル終了。 その後「To be continued...」と書きこまれたらスタンド受付開始だ。 4.新しく誰かが「自分のプロフィール」「自分の考えたオリジナルスタンドとその能力」を書き込み、 先ほどの勝者を含めた4人でバトル再開 後は2~4の繰り返し…というわけだ バトル展開は1行で終了しても長引いてもかまわない! ふざけた終り方でもいい!パロディでも可だ! 勝負ってのはそんなもんだ… あと、スタンド能力はわかりやすいほうが展開しやすい・・・ってのも頭に入れておいてくれ。 それでは… 「出しな…てめーのスタンドを…!」
https://w.atwiki.jp/visionhokkaido/pages/94.html
とりあえずwikiにもレポを書くことにしました。 こっちも簡易的に済ませようと思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2日…全国大会の前日から話は始まる 残念ながら抽選に外れたのでガンスリンガーの為に前日東京入り。行けた方法は親に企業説明会行きたいと言ったため行けました。 しかしなんとか企業説明会はないものかと探したがなく、泣く泣く5月10日に試験を受ける企業さんの所に行って説明を受けれることに。 これでなんとか少しごまかせるはず…(ねーよ その後ホテルに行き、夜遅かったので飯を食べて疲労度がやばいなかガンスリ用のデッキを組んで就寝。 3日…7時起床、朝食を食べてとりあえず駅に荷物置いて、さっさと会場入り待機中は長いので省略。途中あいかわさん、うっち~さん、りつねぇと会う。まぁ俺はガンスリだけなんでね!(泣 そんなこんなで会場に入れ、大会が開始される(試合結果は全略)。そんなこんな略で13時になり、ガンスリンガーの大会が始まることに… 3~4時間後… 5,5勝…とりあえずメケーモ分は確保したぞ…あと二勝、あと二勝すれば… ↓ 無理ですたorz 諦めてポストカード×2をゲット、まぁゲットしたのはこの3つだけ…後は全国大会のチラシかな~。(のちポスカは景品として北海道両主催に献上 で、フリプ中ににしうりさんと会うことにwリベンジは無理でしたw今の環境萃天のダイヤ単純にだけで9 1ついてるんでムリゲーw 後は日刊枠の人とフリプ。(ここら辺は以下略 そして閉会し、飯食べてにしうりさんとあやねぇ宅に泊まりに行って、VISIONして、就寝 4日…にしうりさんと地下公認に出場。5回戦終わって時間が危なくすばやく会場を出て羽田空港になんとか到着。そして札幌に到着。 色々と面倒で省略しているが、川´_ゝ`)何、気にすることはない
https://w.atwiki.jp/trivia-mike/pages/752.html
ふたば。スタバ。ゆっくりを虐めて楽しむSのためのSににょる快楽場だ。 関連 ゆっくりしていってね!!! ゆっくり頭身虫 るぅぃんぐ トップページだす(組み合わせてアドレスバーがあるPCだったらソコに貼っぜ。アドレスバーならどこでもいいけどんず?) http // www26. atwiki. jp/ankoss/
https://w.atwiki.jp/blogger/pages/28.html
愛知県出身。女性。血液型O型。 現在、韓国在住だそうです。 MIKIさんのブログ ブログhttp //profile.ameba.jp/kym2192/
https://w.atwiki.jp/nicoaka/
***◀■▶◀三 管理メッセージ あかのリア友さんへ リア友さんに宛てて書いた渾身のポエムがあります。 是非、ポエムを見て放送でm9(^Д^)プギャーしてあげてください! それを(・∀・)ニヤニヤ見るのが楽しみです。 8/16 これからも編集してやってください。 めんどくさくなったので ・・・中身を充実させたいので^q^ ニコニコ生放送ユーザー生主「あか」のWikiページへようこそ ただいま赤ミク投稿祭り開催中! みなさんどしどしご投稿ください! 詳しくは↓ 赤ミク作成運営委員会本部 とりあえず・・・ _,,....,,_ _人人人人人人人人人人人人人人人_ -" `> ゆっくり退会していってね!!! < ヽ  ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄ | ;ノ´ ̄\ \_,. -‐ァ __ _____ ______ | ノ ヽ、ヽr-r "´ (.__ ,´ _,, -´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、 _,.!イ_ _,.ヘーァ 二ハ二ヽ、へ,_7 r ´ ヽ、ン、 rー 7コ-‐ "´ ; , `ヽ/`7 , ==─- -─== , i r- ァ "´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i | !イ´ , | /__,.!/ V 、!__ハ , ,ゝ レリイi (ヒ_] ヒ_ン ).| .|、i .|| `! !/レi (ヒ_] ヒ_ン レ i ノ !Y!"" ,___, "" 「 !ノ i | , ノ ! " ,___, " i .レ L. ,. ヽ _ン L」 ノ| .| ( ,ハ ヽ _ン 人! | ||ヽ、 ,イ| ||イ| / ,.ヘ,)、 )>,、 _____, ,.イ ハ レ ル` ー--─ ´ルレ レ´ あれですね 大百科には転載しないでください アドレスは張ってね
https://w.atwiki.jp/makihitowikiwiki/
まきひとwikiによろしく@wikiへようこそ ※誰でも新規ページ作成可能です 新規ページ作成 メニュー 固定ハンドル名簿 自己紹介板クソスレ保管庫 リンク集 更新履歴 ウェブ拍手 選択肢 投票 拍手 (4) 元ネタ・・・: ブラックジャックによろしく http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8D%E3%81%97%E3%81%8F 合計アクセス数: - 今日のアクセス数: - 昨日のアクセス数: - コメント てすと - てすと 2009-12-06 19 26 34 名前 ウィキはみんなで気軽にホームページ編集できるツールです。 このページは自由に編集することができます。 メールで送られてきたパスワードを用いてログインすることで、各種変更(サイト名、トップページ、メンバー管理、サイドページ、デザイン、ページ管理、等)することができます まずはこちらをご覧ください。 @wikiの基本操作 用途別のオススメ機能紹介 @wikiの設定/管理 分からないことは? @wiki ご利用ガイド よくある質問 無料で会員登録できるSNS内の@wiki助け合いコミュニティ @wiki更新情報 @wikiへのお問合せフォーム 等をご活用ください @wiki助け合いコミュニティの掲示板スレッド一覧 #atfb_bbs_list その他お勧めサービスについて 大容量1G、PHP/CGI、MySQL、FTPが使える無料ホームページは@PAGES 無料ブログ作成は@WORDをご利用ください 2ch型の無料掲示板は@chsをご利用ください フォーラム型の無料掲示板は@bbをご利用ください お絵かき掲示板は@paintをご利用ください その他の無料掲示板は@bbsをご利用ください 無料ソーシャルプロフィールサービス @flabo(アットフラボ) おすすめ機能 気になるニュースをチェック 関連するブログ一覧を表示 その他にもいろいろな機能満載!! @wikiプラグイン @wiki便利ツール @wiki構文 @wikiプラグイン一覧 まとめサイト作成支援ツール バグ・不具合を見つけたら? 要望がある場合は? お手数ですが、メールでお問い合わせください。
https://w.atwiki.jp/aosasa/pages/186.html
雑学:近代有力め新聞社10社、181 東京日日/大阪毎日。2月11日。 元別新聞社の合併、東西合わせて朝日新聞と並ぶ規模らしく一時は百万部越え争いもしていたとか、大阪由来の大阪毎日が本社ではあるものの、東京日日は日刊新聞の2番目として(1番目の横浜毎日は買収、3番目が英国人のブラックさん)由緒正しく元の新聞社の名前が残っていて、東西で記事が全く違っていたようです、朝日新聞も似たようなものだったぽいけど。 新聞連載なんかで東西共通のものもあるみたいなんだけどねー(詳しくない)。 東京日日が明治5年、大阪毎日がもともと日本立憲政党新聞というど真ん中の名前の政党新聞で明治21年に改名し、明治44年に東京日日と合併。 この立憲改進党というのは自由民権系の大隈さんの政党。 てか、改名したとはいえ、この新聞が東京日日を合併したことに違和感なかったのかしら? 特にそこが語られてる新聞の本がないので…政治の本読まないと駄目かなこれ。 東京日日は政府主導の時期の新聞であり、福地源一郎という主幹(立場変わっても中心人物ってニュアンス、新聞はこの辺わかりにくい)は明治の元勲とも関係があり、御用新聞とも呼ばれてるんですよね。 まあ福地自身が筆禍(政府弾圧、なぜだ貴様)に遭ってたり、新聞社の出資者たちが江戸の庶民の風流人らだったりするので、そこまで違和感はなかったのかしら…。 そういや大阪毎日の前身の明治15年創刊も典型的な「明治14年のちの政党運動目的」の時期ですね、この頃の新聞は庶民ターゲットのはずなので、わりと最初から娯楽も組み込まれてたんじゃないかな。 関西の商人たちが顧客層だった朝日新聞とは似てるけどちょっと違う感じだろうなー、微妙に本がないです、今度社史読むかと迷うくらいに本が…ないです。 朝日新聞。2月12日。 今資料の扱いがどうなってるのかちょっとわからないんですが、どうもこの新聞社、明治12年に立ち上げたあと、しばらくのちに経営が傾きまして、政府の支援の申し出があり、その時点でどうも「政府見解に対し、中立であって欲しい」というような約束が行われたらしいです。 まあなんだ、御用新聞って呼ばれると部数ががた減りするもんだしなぁ…(筆禍を受けると非常に人気が上がる)。 当時バレてるとそこそこダメージがあったであろうものの、後世見るとそこまで後ろ暗い内容でもないんですが、朝日からすると微妙なものなのか曖昧な態度っぽいよな。 大阪毎日と共に関西由来で東京進出組、買収したのは『めさまし新聞』、星亨の自由党(自由民権の板垣退助の政党)の政党新聞でちょくちょく発行停止を食らうので名前がよく変わっていたとか、ここも微妙なカップリングだな…。 星亨が暗殺されてしまったのでそこの問題は少なくなってるのかもしれんけども。 商人を読者層としていたため、わりと初期から娯楽作品に寛容で、「中新聞」と呼ばれていることもあるものの、関東進出の際に他社連合を組まれて営業妨害をされる程度に売れたためか以降このスタイルが当たり前になってしまい、呼称としては消滅。 東西両社がぶつかってたのは夏目漱石絡みの文章で地味に読めたりするんだけど(スカウトした人が関西、担当したのが関東)、まあなんだ、仕方ない、かな。 新聞の歴史が「=朝日新聞の歴史になってる」って嘆きがあり、毎日は…? と思ったものの、新聞各社の記者の本を見た時に納得しました。 ほどほどに変わり者が受け入れられ資金繰りが清浄、毎日は風通しが、あまり…。 時事新報。2月13日。 福沢諭吉さんにまず政府からの新聞社の設立要請が来まして、ところがその中心人物だった大隈さん(またおまいか)が「明治14年政変」って時に失脚してしまったものの、建物とか記者とかがすでに用意されていたので貰い受け。 独立独歩でやるぜ! と始めたらしいんだけど、大隈さんが関わっていてもそんなに変わらなかった気がする、政府の見る目は違ってたとは思うけども。 そもそも明治初期の頃は啓蒙のため、新聞社は結構作られてるんだよね。 ただ、政府主導で作るとすっげぇ詰まらんので受け入れられないんですよ、なんと申し上げるか明治政府にインテリがいるわけがないじゃん伊藤博文が最高の教育受けてるとか(農民出の苦学生)、単純に内容が面白くなかったんだろうなとしか、思えず…。 (人気がなにしろないので娯楽新聞なんていう発想もまだない。) で、東京日日の福地源一郎とか福沢諭吉なんだろうね、どっちもあんまり政府のコントロールの下にいてくれなさそうだけど、明確な政治指針があるわけでもないしな。 これは朝日新聞なんかも近い状況にありそうですね、中立は期待出来そう。 で、明治15年です、あー、なんとなくわかった。 そして新聞各社は政党の方針により右往左往してたらしいんですが、それ系の新聞はあんまり残らなかったのでここの項目にほとんどおらず(東京日日くらい)、まあ、そこで中立として名前を上げた時事新報のところで触れるのが無難かなー。 東京日日は御用新聞って呼ばれているんだけど、あそこも新聞社の意思がきっちりありそうなんだよね、今こうしてまとめて見ると…。 文語体が多い時代になんかさっぱりした文章も特徴、あれ呼び名あるのかしら? 国民新聞。2月14日。 明治23年というとあれか、選挙が制限選挙って決まったあとか(国会開設が決まったのが明治14年、そこから10年後、選挙の方針が決まったのが明治22年)、にゃ、直接関係あるのかどうかはわからないんですが、それ以前までは泥沼の政党主張に各新聞社が振り回されていたぽいからなぁ。 お互いに新聞を使って主張をするので止めれって言われてたなぁそういや。 徳富蘇峰さんが中心で、まあなんというか、超絶人気の論客ですね。 この人の場合、政府寄りになってもそんなに人気落ちてないっぽいんだよな、まあなんだ、政府寄りになっても面白かったんだろうな…。だって初期の新聞、布陣を考えるとどう考えても内容に期待が出来ないんだもん。 弟の蘆花さんとの長い諍いもわりとこの辺の身の置き場が原因らしい。 そういや、人気が陰って来てた時期に弟さんに小説書かせてたら暴露問題が起こるようなモデル小説だったってのが「不如帰」だっけねぇ…。 連載中断し、特に人気もなかったはずが単行本になったのちに大ヒットをかまし、家庭小説というジャンルも生んだとのことなんですが、大概複雑な。 ただ、この国民新聞にしろ『国民之友』にしろ(あとの時代で言う総合雑誌、小説も載ってるし政治論文も載ってる)、まともな記事揃えて、しっかり方針立てて作ってるなー、てのは感じるので、そこらの新聞ほどには浮き沈みしなかったかもな。 当時は新聞社単位で認識するより論客にファンが付いてたりするからな。 少なくとも新聞という単位で認識されてる新聞社ってのはちょっと朝日以降じゃないのかなぁ(時事新報は別格として)、もうちょっとなんかで情報仕入れてこよ。 読売新聞。2月15日。 えっとだから、明治7年、時期からして(ブラックさんのすっぱ抜き事件のち、新聞の庶民人気が上がり)、初期の小新聞ですね。 あれねー、大新聞の政治記事を「ひらがなのみ」で載せてるみたいな新聞もあるにはあったらしいんですよ、あとあれ、浮世絵新聞てのもあったけど。 この読売新聞が「漢字表記にふりがな」を発案しまして、基本スタイルはそれで落ち着いたようです、なんかねー、ひらがなオンリー目が泳ぐ、読めない。 あ、識字率そのものはそんなに高いわけではないものの(準識字率は高い)、政府のお触れなどを理解する関係上、文章の理解力は高いんだってさ江戸時代の庶民。どんな田舎であっても1%程度は絶対に完全識字者がいたらしい、伝令に必要だったのね。 基本的に新聞の歴史においては小新聞の地位が仕方ないながら低く(だって当人の家の前で読み上げるゴシップ記事とかあるしさぁ!!)、あまり顧みられていることがないものの、読売新聞だけは別格として触れられていたりもしますね。 明治40年辺りには尾崎紅葉率いる硯友社と結びついて『金色夜叉』などの大ヒットを生み出していたりもしますね、休載すると文句が酷いわりに部数に貢献してないって切っちゃうんですけどね、したら部数ガタ減りしたって言われてたな。 あとあれ、正宗白鳥がいて、夏目漱石を採ろうとして「なんだよその提示価格www」って朝日新聞のご本で心配されていたりしましたね、そうねー、前職の4分の1で毎日出社ってさすがになんか…。 時期によっては都新聞と競っていたりして、五大新聞なんかと比べると確かに劣るものの、極端な経営不振も聞かないし、文芸新聞かって言われたら微妙だけど。 萬朝報。2月16日。 そもそもこの萬朝報、大衆新聞って呼ばれてることがあるんですが、あんまり聞かない呼び方で、翌年に立ち上がった『二六新報』があと呼ばれてることがあるくらいかな、最初に見た時は「小新聞」のことだと思っちゃったんですよね、言い換えかなって。 ところがどうもこの二紙、政治を避ける小新聞と違いどちらかというと政治啓蒙意思が強い。 源泉となっているのは板垣退助(自由民権の最初の一人だね)がフランスに外遊していた時期に「庶民の啓もうには小説読ませるといいよ」という助言を貰ったということに端を発するようなんですが、あ、助言者はヴィクトル・ユゴーだって。 ちょうどこの萬朝報立ち上げた黒岩涙香さんの探偵小説も直接その系譜なのかどうかはまだちょっと調べられてないんだけどねー、政治目的っぽいことは言ってはいるんだよな、ところどころで。 あ、ユゴーさんの趣旨ではどうも最近のだったらなんでもいいよ、みたいな感じでした、結構娯楽小説とかも抱えて帰ったぽいよ、板垣さん。 たまに政治小説を読ませて知識を付けさせる! みたいな解釈が語られてるものの、政治小説って代表作が叙事詩寄りの架空歴史で、これはまだわかるものの、あとはほとんどメロドラマなので…勉強に使うにはちょっと…(政治小説って呼び方があかんのかしら)。 涙香さんの翻案の探偵小説もほとんど冒険ものだったぽくてね、上の趣旨には合ってるんだけど、辞めた都新聞とは方針合わなかったのかもなぁ、あそこ芸能寄りだし。 ただ、現代人にはいまいち「上流階級のゴシップ」が啓蒙って言われてもわかんないんだよな、一番有名な藩主の毒殺事件疑い記事も検死の結果自然死ってなって証言者が逃げちゃったしね、内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦を揃えてたのは本気だとは思うけど…。 二六新報。2月17日。 個人的にこの二六新報と『萬朝報』は二卵性双生児みたいに思ってるんですけども、萬朝報が明治25年で二六新報が明治26年(この年号が新聞名なんだろうね)、明治30年代に日本一を競い、新聞が終わったのも戦時中のどさくさに紛れてっぽいしなぁ。 なんかぐるぐる蛇行してるから追えなかったけど二六新報の子孫…。 あまり詳しくないWiki辞書がさらに「政府弾圧を受けるような姿勢だったために大衆紙と呼ばれ」って書いてあったのでいらっとしまして、一回それを吐き出していたら内容が妙なことになって一旦断念したんですが。 大衆新聞って呼ばれたのは双子の萬朝報と同じくゴシップと娯楽じゃないかなー、前に斎藤緑雨(仮名垣魯文の弟子)絡みで懸賞小説やってたらしいことを読みましたしね、やーあれ、当時流行していた一葉さんもどきがやったら多いって比較的出来のいい作品を叱り付けたらば一葉さんと同じところに属していた兄弟弟子だったという案件が紹介されており、その後逃げていたようです…謝ったほうが…。 (一葉さんと同じく先人の表現を借りるのが自然なことだったぽい、知らなかったすみませんでしたって謝ればいいとは思うんだけど、先に変な決め付けしてて…。) なんでも日本で最初の懸賞小説らしいんですが、他の分布を思い出すと多分問題ないんじゃないかな、結構どわっと増えてるよね、懸賞系の雑誌。 あと、そもそもある程度の政治志向はあったのは筆禍(政府弾圧)に遭ってることでも明確だけど社長が大隈さんとも関係ある政治家ってのもあるしね、あ、新聞を立ち上げてのちにラブコールをした結果のようです。 大隈さん目当ての新聞立ち上げではないよね…(前例を思い返すと些か…)。 日本(新聞)。2月18日。 それほど知名度は高くはないとは思うんですが、ここの社長の陸羯南が正岡子規さんのご近所だっけ? まあまあなんかもともと親しかったので、弟子も引き連れて参加していたようです、あと、「最後の大新聞」と呼ばれているのが特徴かな、 明治22年に創刊、とはいえ明治21年の『東京電報』からあんまり変わってないのかな、正式には『日本』であって新聞とは後ろに付かないようなんですが、なにぶん名前がわかりにくいせいか特に断りもなくよくくっ付いていたりします。 まあ『日本』ってあるのは関係紙がほとんどぽいけど…(抑留者新聞とは混同しないやろ、あと、『日本及日本人』って雑誌があるけど日本の部分がこの新聞を指します)。 なんかねー、だいぶ売れなかったみたいです。 小説を載せていないのはまあいいんだけど、経済情報などの即時性のある記事もなかったとかで、朝日とか毎日系とか両方載ってんだよな多分…。 特徴は上の俳人とか短歌系の記事なのかなとも思わないでもないんですが、それにしたところで子規さんの「ホトトギスは売れるが日本は売れない」みたいな愚痴が残ってしまったようで、まあうん、新聞で明治後期で6千部って心許ないかな…。 個人事業所で出してる雑誌がその半分か、切ないな。 そういやWiki辞書の『国民新聞』に子規さんの弟子の高浜虚子さんが担当した欄のおかげで新聞が隆盛とか、言われてたな切ないな…。 明治39年に陸さんの病気により、立憲政友会の政党新聞になったようで、大正3年には火事にて一旦倒産、MAXが日清戦争で2万部くらいか、てか、後継新聞や週刊誌があるようで、あー、超国家主義のあれか…、だいぶ変転激しいな。 都新聞。2月19日。 そういやこの新聞社、徳田秋声の「縮図」で出て来たり尾崎士郎の「人間劇場」が掲載されていたということでどういう新聞なのかって調べようとしたこともありましたっけ、どうも日本最初の夕刊新聞らしく明治17年に『今日新聞』として立ち上げられたってありますがどうもこれ、資本関係から見て東京日日由縁ぽいね。 いや初代主筆が仮名垣魯文だったり、福地桜痴や彼関係の名前が見えるからね。 確かこれははっきりと東京日日系だった警察新報のことも吸収してたんじゃなかったかな、えーと、あった、社屋は同じだが号は継いでいない、了解了解。 多分これ、いくつかあった小新聞系の人材を集めるために作られた、直接は資本関係がない新聞社なんでしょうね。 あ、夕刊新聞ってのもあれです、娯楽系がメイン(なんというか情報が短期間で変動しないものを主に扱うのでどうしても報道じゃなくて娯楽や芸能寄りになるらしく、当時の流通や技術的な理由でしょうねこの辺)。 明治21年に『みやこ新聞』、翌年に表記を『都新聞』にして黒岩涙香さんなんかもお迎えして一時躍進したものの社長と衝突して退社(で、彼は『萬朝報』立ち上げ)。 日日系の社長と涙香さんだとなんとなくぶつかる理由はわからんでもないな、日日は唯一の御用新聞って呼ばれてた時期もあるし、大衆新聞はかなり自由主義ぽかったし。 で、だいたい『読売新聞』と近い芸能寄り新聞になったのかな、てか、演劇に強いのって大阪毎日系の人の由来っぽいなぁ、結構あとまでつながってんのね…。 上に挙げた小説とあと中里介山の「大菩薩峠」なんかもありますね、硬派記者が小説書けんの? って言われてたのはちょっと記憶にあるな。 報知新聞。2月20日。 明治5年創刊の近代新聞の最初期の時期で、この時点だとまだ政府主導の新聞がぽちぽちあった頃じゃないかな(御用新聞じゃなくて要請によって立てられた新聞社)、新聞がなかなか広まらないので郵便制度を利用して無料で配達されることを前提に作られていてその中心人物が前島密なのでまあガチな話。 てか、郵便局の父だけなんか知名度高いよなー(風水好きで郵便局を立てる時にちょっとずつ取り込んでいたんだってさ、なんか変なところにあるとは思うことあるな)。 漢学者だった旧幕臣の栗本鋤雲が初期の主筆、明治三大文士じゃん、てか、矢野龍渓って初期からいたのか…、この人が明治14年に大隈重信に買収を願い出てたんだよね…。 ただ、初期から民権運動家がいたなら大きく方針転換したわけでもないのか。 ここから元になった錦絵新聞があったってことはかなり柔軟かも(大新聞の記事を錦絵を添えて書き直したもので庶民向け、小新聞より早かったと思う)。 Wiki辞書には「明治末から大正にかけて」一番売れた新聞ってあるんだけど、時期が微妙なんだよなぁ、朝日新聞と毎日-日日とが台頭するまでは可能性がないでもないんだけど、関東大震災の時に一時的に朝日新聞の発行数を超えたことが自慢みたいな自虐の極みを見ているので…最悪その時点の話が曲解された可能性が皆無でもなく…。 あとあれ、羽仁もと子さんがいたのね、日本初の女性記者にしてのちに『婦人之友』を夫婦で立ち上げた人だ、やっぱりほどほどに柔軟だな? 上の自虐ネタとそれを本当に勘違いして日本一って書いていた人のせいで評価が微妙だったんですが、五大新聞の一つだし、まあ目立つ特色はなくても悪いものでもなかったのかな、しかし、柔軟なのはいいんだけどなんとなくばらばらだな…。 (雑学:近代有力め新聞社10社、181) 雑記:文或と近代もろもろ、212 雑記:文或と近代もろもろ、210 雑記:文或と近代もろもろ、208 雑記:文或と近代もろもろ、207 雑記:文或と近代もろもろ、206 雑記:文或と近代もろもろ、205 雑記:文或と近代もろもろ、204 雑記:文或と近代もろもろ、203 雑記:文或と近代もろもろ、202 雑記:文或と近代もろもろ、201 雑記:文或と近代もろもろ、200 雑記:文或と近代もろもろ、199 雑記:文或と近代もろもろ、198 雑記:文或と近代もろもろ、196 雑記:文或と近代もろもろ、194 雑記:文或と近代もろもろ、192 雑記:文或と近代もろもろ、189 雑記:文或と近代もろもろ、188 雑記:文或と近代もろもろ、187 雑記:文或と近代もろもろ、185 雑記:文或と近代もろもろ、184 雑記:文或と近代もろもろ、183 雑記:文或と近代もろもろ、182 雑記:文或と近代もろもろ、180 雑記:文或と近代もろもろ、179 雑記:文或と近代もろもろ、178 雑記:文或と近代もろもろ、176 雑記:文或と近代もろもろ、175 雑記:文或と近代もろもろ、174 雑記:文或と近代もろもろ、173 雑記:文或と近代もろもろ、172 雑記:文或と近代もろもろ、171 雑記:文或と近代もろもろ、170 雑記:文或と近代もろもろ、169 雑記:文或と近代もろもろ、168 雑記:文或と近代もろもろ、167 雑記:文或と近代もろもろ、166 雑記:文或と近代もろもろ、165 雑記:文或と近代もろもろ、164 雑記:文或と近代もろもろ、163 雑記:文或と近代もろもろ、162 雑記:文或と近代もろもろ、161 雑記:文或と近代もろもろ、160 雑記:文或と近代もろもろ、159 雑記:文或と近代もろもろ、158 雑記:文或と近代もろもろ、157 雑記:文或と近代もろもろ、156 雑記:文或と近代もろもろ、155 雑記:文或と近代もろもろ、154 雑記:文或と近代もろもろ、153 雑記:文或と近代もろもろ、152 雑記:文或と近代もろもろ、151 雑記:文或と近代もろもろ、150 雑記:文或と近代もろもろ、149 雑記:文或と近代もろもろ、148 雑記:文或と近代もろもろ、147 雑記:文或と近代もろもろ、146 雑記:文或と近代もろもろ、145 雑記:文或と近代もろもろ、144 雑記:文或と近代もろもろ、143 雑記:文或と近代もろもろ、142 雑記:文或と近代もろもろ、141 雑記:文或と近代もろもろ、140 雑学:近代有力め新聞社10社、181 雑学:近代小説掲載雑誌覚え書、186 雑学:明治の歌舞伎事情、195 雑学:明治の新聞発展事情、177 雑学:文士経営者寄り10人、190 雑学:お江戸の歌舞伎事情。197 文芸:文アル登場作家、その4。211 文芸:文アル登場作家、その3。209 文芸:文アル登場作家、その2。193